日本の安全神話と、犯罪と差別と

最近、いよいよ英語を読むのに疲れてしまい、日本語の本を大量取り寄せしてウキウキ読書。そのうちの一冊ですが、個人的にとても面白かったものです。

 

安全神話崩壊のパラドックス―治安の法社会学

安全神話崩壊のパラドックス―治安の法社会学

 

 「安全神話」なんていうフワフワしたお題について、実証的に、はたまた理念的に、欧米との比較も交えながら、多角的に丁寧に説明していただき、厚みのある1冊ながら勢い1日で読了しました。こうしたフワフワしたテーマこそ、例えば、一方に統計や経済学、他方に歴史文化の地域研究などだけでは解決し難いテーマであり、社会学の職人芸なのではないかという気がします。

 

本書では、「日本は安全な国」であったのに最近そうではないとされがちである理由として、決して実際に犯罪数が増えているとか、凶悪化しているという話ではないといいます。そうではなく、伝統的日本社会では、大多数の一般人が暮らす「日常」と統制サイドと犯罪者たちが暮らす「非日常」の世界がほぼ切り離され共存してきたのだが、その境界が崩壊していることではないかと。さまざまな「境界」が崩れてきている例としては、例えば繁華街に多かった犯罪の住宅地への拡大、「夜半」に多かった犯罪が「日中」に頻出することなどがあります。そして統制サイド・犯罪者間のウエットな人間関係が防犯に果たしていた役割は大きかったが、近代化や「中途半端な」西洋個人主義の取り入れ、すなわち犯罪に対する態度として「馴れ合い」や「赦し」を重視する従来の傾向から、欧米的な「正当防衛」重視の文化へ移行する中で、それが崩れてきているとされています。

 

気になった点として、犯罪にはいわゆる人種差別がつきものであり、能力があるのに差別されたものが、自己実現する場としての犯罪組織というものがあるといいます。無論、差別された者があまねく犯罪に手を染めるなんてことはありませんが、差別と犯罪の関係は万国共通。そしてタブー視されがちである事も万国共通であると。そこで思い出したのは、FacebookのCEOザッカーバーグ氏も、読んで影響を受けた1冊と言っていたとかいなかったとかいうコチラの本。

 

The New Jim Crow: Mass Incarceration in the Age of Colorblindness

The New Jim Crow: Mass Incarceration in the Age of Colorblindness

 

著者も言及しておりましたが、アメリカでは犯罪といえば人種差別問題とニアリーイコール。この本では、いかに多くの黒人が刑務所に繋がれ、また犯罪者とされることで合法的に人権を剥奪されているかについて書かれています。合法的に人権を剥奪というのは、アメリカ憲法の修正13条において、すべての人間は平等である、ただし、犯罪者をのぞく、という但し書きがあり、これがまさに全てを正当化してしまっているということです。文章を読むのがおっくうな方は、同様の内容を映画で見ることもできます。

 

youtu.be

 

これを見ると、日本と米国では犯罪の統制システムに大きな差があると考えさせられます。アメリカの「平等社会」のためにというお題目を盾にした刑務所の裏の役割に対して、日本の、いわば「ヤクザが犯罪者予備軍の受け皿になる」システムが素晴らしいと言うつもりはありません。しかし、著者が言うように、「安全」確保のための共同体の大切さは認められるべきであるし、西洋型の人権擁護を神格化してしまうべきではないという議論になるほどと思わざるを得ませんでした。