人種(race)概念の耐久性について

なぜ、「人種」(race)という概念はこんなにも長きに渡って持続しているのだろうか。様々な要因が絡んでいるとしても、特に大きな要因は何なのだろうか。

そんな根本的な問いを探るにあたって、昨年の冬はクリスマス返上で読書に耽っていました。そして、なんて多くの人々がこの問いに対して立ち向かってきたのだろうと感銘を受けつつ、世の中には自分の知らない事が多過ぎて、もう、いやんなったりもしました(笑)。

自分なりに出した結論としては、そこには文化的・政治的・経済的な要因が複雑に絡みあっており、特に経済的要因の重要度がもっとも高いのではないかということです。

 

  1. 文化的要因
    人間が物事を把握する上で「範疇化」「分類」すること。特に、18〜19世紀アメリカにおいては、旧約聖書にかかれた人類の起源を巡って、人間の見た目の違いを説明するのは、宗教よりも自然科学の方が望ましかった。そこで、人間を野菜や動物のように見た目の特徴で分類する科学者たちが台頭しました。勿論、現在では見た目で人を差別する事は先進諸国では御法度になったものの、「文化・慣習の違い」など異なる理由で差別が正当化されたり、既存の人種差別構造が新たなマイノリティ人口の間で再生産されるなど、根深いものがあります。
  2. 政治的要因
    近代国民国家樹立を背景に、ネイションの境界を定義・維持する事が主権国家にとって最大関心事となり、そのために「人種」「民族」が政治化されたこと。アメリカでのジムクロー法や南ア共和国でのアパルトヘイト、戦中ドイツにおけるユダヤ人や黒人・ジプシーの迫害などはこれにあたります。また、近年の複雑化する移民社会では、良くも悪くも国勢調査を始めとして公的に人種のラベルを活用する制度が存在します。
  3. 経済的要因
    資本主義社会においては、人種が階級・社会階層に組み込まれてしまうこと。すなわち、古くは奴隷や今では移民労働者が「安い労働力」としてホスト国家の労働市場流入したあと、社会構造の下層部に組み込まれる状況が存在します。皮肉にも、経済理論上は人種の区別なく、事業主が出来るだけ安くて質の高い労働力を確保しようとすることからこの傾向は加速化しやすいわけです。

文化的要因は、人種概念が生まれた根本的な要因でもあり、これを結果的に利用して複雑化したものが政治的・経済的要因であると考えられます。政治的・経済的要因のいずれにおいても、民主主義・資本主義経済の現代社会においては、為政者・エリート層がマジョリティ人口を代表している以上、社会構造を変革する理由に乏しくなります。

人々の意識や考え方は数世代超えれば大きく変わっていくものですし、政治的にも抜本的な改革やパラダイムシフトが起こるという事は不可能ではないわけですが、蓄積された経済資本はもっとも容易に次の世代へと引き継がれて行く産物です。そう考えると、現代においては、経済的要因が社会階層に組み込まれた「人種」の永続に寄与するところは甚大なのではないでしょうか。

 

 

Idea of Race

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Racism After 'Race Relations'

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Racial Formation in the United States: From the 1960s to the 1990s (Critical Social Thought)

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増補 民族という虚構 (ちくま学芸文庫)

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