ナショナリズムの定義

最近ナショナリズム関連の書籍をちょびちょび読んでおり、頭がナショナリズムなので、その近辺の整理をば。

 

ナショナリズムの定義については、諸説ありますが、ゲルナーの定義が有名で、ピンときます。Nations and Nationalism(1983)という本の最初の2行はよく引用されています。

Nationalism is primarily a political principle, which holds that the political and the national unit should be congruent.

ナショナリズムとは、第一に政治的単位とナショナルな(民族的な)単位が一致するものと捉える政治的原理である。)

民族とナショナリズム

民族とナショナリズム

 

 

わざわざ和訳を「ナショナルな」としたのは、「国民」「民族」両方の要素があり、日本語訳も統一されているわけではなく、その事実を強調したいがため。私の現在の理解は、下記の通りです。

  1. 「民族」の要素
    上記、岩波書店の日本語訳のタイトルは「民族とナショナリズム」となっているし、「国家」(ステイト)と対比する際は「民族」(ネイション)である。「国家が、政治的機構を持ち実体のある存在であるという一方、ネイションはフィクションである」という議論では、ネイションは「民族」であることが多い。
  2. 「国民」(ネイション)の要素
    「民族」は「エスニシティ」の訳語とされることもあり、この「エスニシティ」と「ネイション」が対比されて論じられる際には「民族」(エスニシティ)と「国民」(ネイション)として語られる。

 

ナショナリズムの権威で、ゲルナーの弟子だったというアンソニー・スミスは、「エトニ」Ethnie(伝説、歴史的記憶、文化的価値観やシンボルを共有するコミュニティ)が政治化し「ネイション」Nation(エトニに共同体としての地理的領域と、付随する構成員としてのアイデンティティが付加)になるという、「エスニシティからネイションへ」のプロセスを明らかにしました。

わざわざスミスが「エスニシティ」ではなく、ギリシア語をもとに「エトニ」というワードを使っているのは、祖先や文化を共有するエスニックな共同体という、もっとも原始的な実体のある存在として扱いたかったのではないかと考えます。というのも、欧米論壇では「ネイション」はもとより「エスニシティ」という概念自体も、構成主義的な立場から言えばフィクションである、という議論がされることも多いため。現代では、人種・民族という概念は科学的に証明されるものではなく、人間が作り出した社会構造である、と理解されています。しかし、エスニック・グループという共同体が太古の昔から存在したのは厳然たる事実であり、これが近代化の中でネーションとして様々な形で変化を遂げることになった。すなわち、「エスニシティ」と「ネイション」は切っても切れない関係のようなものなのです。ううむ、これなら、どっちも日本語訳が「民族」になってもしょうがないかもしれない。

ネイションとエスニシティ―歴史社会学的考察―

ネイションとエスニシティ―歴史社会学的考察―

 

 

ナショナリズムの定義に話を戻すと、 ナショナリズムは政治的原理のみならず、もっと原始的な我々の生活に根ざしたものであるという指摘は、カルホーンがしています。

Nationalism is not just a doctrine, however, but a more basic way of talking, thinking, and acting. 

(しかし、ナショナリズムはただの理論ではなく、より基本的な話し方、考え方、行動の仕方のことである。)

Nationalism (Concepts in Social Thought Series)

Nationalism (Concepts in Social Thought Series)

 

 

ゲルナーのいう政治的原理に限った定義は、われわれの理解を限定的にする、とのご指摘。確かに、ナショナリズムは、すでに主権国家だけの専売特許ではありません。もっとも基本的なナショナリズムのイメージは、国旗、国歌、パレード、歴史的な記念日を祝う国民の祝日など、さまざまな社会構造を通して広く政府が主導するものかもしれません。しかし、成功するナショナリズムの条件は、常に、そこに動員される人々がいるということ。つまりは私たち一人一人がどう考え、行動するかに関わる話なのです。

また、現在では、ヨーロッパを始めとして国内のマイノリティ勢力によるナショナリズム(Substate Nationalism)、国境をまたがったナショナリズム(Transstate Nationalism)などなどさまざまなタイプのナショナリズムも指摘されています。次回は、この辺のこともかこうと思います。