ナショナリズムの理論とは

今日は久々に天気もよく、家の掃除、洗濯、庭の掃除に加え、ハンディマンに床を修繕してもらい、お家が綺麗になったのでいい気分です。

 

あいかわらず、ナショナリズム関連の書籍を読んでいます。ネイション・ナショナリズム研究はイギリスを中心としたヨーロッパがお膝元という事もあり、大学のライブラリーの書籍も充実しているように思います。ですが、研究者によって捉え方とアプローチが様々で、混乱していたのも事実でした。理論の整理にとても役立ったのがコチラの本。

Theories of Nationalism: A Critical Introduction

Theories of Nationalism: A Critical Introduction

 

 

教科書的な本は、最初の1冊としては面白みに欠けるけれども、何冊か読んで混乱した頭には大変ありがたいもの。ナショナリズムの潮流がよく理解できました。備忘録としてまとめておきます。

  1. ナショナリティとは、人間に「自然に」付随するものであり、不変的なものであるとするPrimordialism(原初主義)
    →Shils, Geertz
    ※バリエーションとしてナショナリティがある意味「自然」ではなく「作られた」ものである事は認めながらも、その起源が大変古い!とするPerrenialism(前近代主義)を区別する考え方もある。→Hastings
  2. 近代化の中で形作られた新しい概念であるとするModernism(近代主義
    ・経済的近代化 →Nairn, Hechterら
    ・政治的近代化 →Bruilly, Brass, Hobsbawm
    ・社会・文化的近代化 →Gellner, Anderson
  3. 近代主義に反対しネイションがもつ神話などの文化的シンボルは過去から常にあったものであるとするEthnosymbolism(エスノ・シンボリズム)
    →Smith, Hutchinson

いわずとしれた「想像の共同体」のアンダーソンなど、1980〜2000年頃までのナショナリズムの名著は上記の流れに整理されます。しかしながら、近代主義か反近代かという議論は賞味期限に近づいているという指摘がされているのも事実です。なぜなら、どちらが正しいかは「ネイション」をどう捉えるかというそもそもの前提によって変わってくるため、前提が違えば水かけ論に終始してしまう。

「ネイションは何か」「いつ始まったのか」という過去をさかのぼる議論はやめにして、今ある「ネイション・ナショナリズムがどのように世界に影響を与えているのか」の議論をしよう!という人たちが新しいアプローチを始めました。

  1. Banal Nationalism (凡庸なナショナリズム) →Billig
  2. フェミニスト・アプローチ
  3. ポストコロニアル・アプローチ
  4. 言説的な形としてのナショナリズム →Calhoun
  5. グルーピズムを排したエスニシティ →Brubaker
  6. (この本では区別されてはなかったものの)データ重視の経験主義的アプローチ

個人的には、凡庸なナショナリズムの存在は軽い衝撃でした。ナショナリズムには、hot(激しい)なものとbanal(凡庸な)ものがあり、民族紛争や極右勢力の勃興といった目立つ政治イベントだけがナショナリズムではなく、私たちの毎日の生活の中に根付いているものなのだとする議論。確かに、アメリカ人の日常生活におけるアメリカ国旗の頻出率は、留学していた時に外からの目線で見ると不思議に映ったものでしたが、毎日国歌斉唱しているアメリカ人自身は、自然にやっているので気づいていない。そこに存在するのが凡庸なナショナリズムです。

あとは、フェミニストポストコロニアルなど、メインストリーム(男性、西洋)に形作られた歴史の流れを違った角度で見直す分析はナショナリズムに限らず広く取られるアプローチです。

ただし、新しいアプローチはやはり「ナショナリズムがどう影響するのか」を見ようとするので、今に役立つ意味のある議論ではあれど、ミクロな視点に陥ってしまいがちではあります。

 

この本では面白い事も書いてありました。

Did nationalism have its own 'grand thinkers'?

いわゆる社会主義におけるマルクスウェーバー、民主主義におけるホッブズ・ルソー、功利主義におけるミル、といったその思想の「父」なる理論家はいるのか?という問いです。答えはNO。個人的にはゲルナー、アンダーソンがGrand Thinkersかな?と思ったのですが、彼ら自身が「ナショナリズムにGrand Thinkersはいない」と述べているらしく。マルクスだってミルだってルソーだってナショナリズムについて書いているし、いつだって彼らの業績のもとに現在のナショナリズムは語られている。とすれば、他の多くの「イズム」と異なり、ナショナリズムにおけるGrand Thinkersはいないということになります。

 

ちょっと途方に暮れつつも、そうしっかりと言い切ってもらえると少し安心してしまう自分がいます。本当に、ナショナリズム研究、奥が深いです。ある意味、概念的な部分ではもっとも答えのない領域なのかもしれません。(トホホ)。

人種(race)概念の耐久性について

なぜ、「人種」(race)という概念はこんなにも長きに渡って持続しているのだろうか。様々な要因が絡んでいるとしても、特に大きな要因は何なのだろうか。

そんな根本的な問いを探るにあたって、昨年の冬はクリスマス返上で読書に耽っていました。そして、なんて多くの人々がこの問いに対して立ち向かってきたのだろうと感銘を受けつつ、世の中には自分の知らない事が多過ぎて、もう、いやんなったりもしました(笑)。

自分なりに出した結論としては、そこには文化的・政治的・経済的な要因が複雑に絡みあっており、特に経済的要因の重要度がもっとも高いのではないかということです。

 

  1. 文化的要因
    人間が物事を把握する上で「範疇化」「分類」すること。特に、18〜19世紀アメリカにおいては、旧約聖書にかかれた人類の起源を巡って、人間の見た目の違いを説明するのは、宗教よりも自然科学の方が望ましかった。そこで、人間を野菜や動物のように見た目の特徴で分類する科学者たちが台頭しました。勿論、現在では見た目で人を差別する事は先進諸国では御法度になったものの、「文化・慣習の違い」など異なる理由で差別が正当化されたり、既存の人種差別構造が新たなマイノリティ人口の間で再生産されるなど、根深いものがあります。
  2. 政治的要因
    近代国民国家樹立を背景に、ネイションの境界を定義・維持する事が主権国家にとって最大関心事となり、そのために「人種」「民族」が政治化されたこと。アメリカでのジムクロー法や南ア共和国でのアパルトヘイト、戦中ドイツにおけるユダヤ人や黒人・ジプシーの迫害などはこれにあたります。また、近年の複雑化する移民社会では、良くも悪くも国勢調査を始めとして公的に人種のラベルを活用する制度が存在します。
  3. 経済的要因
    資本主義社会においては、人種が階級・社会階層に組み込まれてしまうこと。すなわち、古くは奴隷や今では移民労働者が「安い労働力」としてホスト国家の労働市場流入したあと、社会構造の下層部に組み込まれる状況が存在します。皮肉にも、経済理論上は人種の区別なく、事業主が出来るだけ安くて質の高い労働力を確保しようとすることからこの傾向は加速化しやすいわけです。

文化的要因は、人種概念が生まれた根本的な要因でもあり、これを結果的に利用して複雑化したものが政治的・経済的要因であると考えられます。政治的・経済的要因のいずれにおいても、民主主義・資本主義経済の現代社会においては、為政者・エリート層がマジョリティ人口を代表している以上、社会構造を変革する理由に乏しくなります。

人々の意識や考え方は数世代超えれば大きく変わっていくものですし、政治的にも抜本的な改革やパラダイムシフトが起こるという事は不可能ではないわけですが、蓄積された経済資本はもっとも容易に次の世代へと引き継がれて行く産物です。そう考えると、現代においては、経済的要因が社会階層に組み込まれた「人種」の永続に寄与するところは甚大なのではないでしょうか。

 

 

Idea of Race

Idea of Race

 

 

Marxism and Class Theory: A Bourgeois Critique

Marxism and Class Theory: A Bourgeois Critique

 

 

Racism After 'Race Relations'

Racism After 'Race Relations'

 

 

Racial Formation in the United States: From the 1960s to the 1990s (Critical Social Thought)

Racial Formation in the United States: From the 1960s to the 1990s (Critical Social Thought)

 

 

増補 民族という虚構 (ちくま学芸文庫)

増補 民族という虚構 (ちくま学芸文庫)

 

 

I, Daniel Blake(映画)を見て

社会派映画監督、Ken Loachによる昨年公開の最新作で、2016年カンヌ国際映画祭パルムドール賞受賞とのこと。いい映画だと周りにも薦められてずっと見たかったんですが、既にやっている映画館が少なくなっていたので、スケジュールがなかなか合わず。やっと見に行ってきました。

いやぁ、よかったです。3回くらいじんわりと泣きました。

Newcastleを舞台とする北部のなまり、いかにも隣街で暮らしていそうな登場人物たちのリアル感がよいです。リアルな中にドラマがあるのが一番泣けます・・・

 

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国家に属さないナショナリズムとは

ナショナリズムが、国家が国民を動員するためのもので、教育や、国の記念日(創立や戦争勝利・敗北などを思い出す日)、国旗や国歌をはじめとするシンボルなど、国家のスポンサーによる各種の制度がそれを可能にするのだとすれば、いわゆる「国家に属さないナショナリズム」はどのようにして生まれるのでしょうか?

 

マイノリティ・ナショナリズム、サブステイト・ナショナリズムトランスナショナルナショナリズムなど、色々な呼び方・分類の仕方があるものの、こうした例は世界中に見られます。

代表的なものでは、カナダのケベック、そして欧州を中心に、スコットランド北アイルランドウェールズバスクカタルーニャフランダース、クルド、そしてルーマニアスロバキアにおけるハンガリー人や、クロアチアにおけるセルビア人なども広義には含まれるでしょうか。

特にケベックスコットランドカタルーニャフランダースなどは、実際に「サブステイト・ナショナリズム」が一定の成功をおさめ、国家のなかで、自治区としての特別扱いがある程度認められています。

 

数あるエスニック・マイノリティーの中でも、ただのマイノリティグループとしてではなく、特定の領域で自治権を与えられるコミュニティーは「ネイション」と呼べると言えるでしょう。

アンソニー・スミスもこのように述べています。

‘Only those ethnie with homelands, or real chances of obtaining a homeland of their own, can seriously pursue the route towards nationhood’ (Smith, The Ethnic Origins of Nations)

(故国、またはそれを保持できる可能性のあるエトニだけが、ネイションとなる道程を進むことができる)

 

サブステイト・ネイションは、自治権確保のため、特定の領域との歴史的なつながりの深い集団である必要があるため、歴史的・文化的にユニークであることを強調し始めます。カタルーニャは1714年までは自国を自ら統治していたであるとか、スコットランドの歴史的な繋がりはイングランドよりヨーロッパの方が深いであるとか。

言語や宗教の違いなど、従属関係にある国家との差異を明確化するため、文化的な資産も最大限に生かされます。ケベックのフランス語、カタルーニャカタルーニャ語など、前者は「英語よりステータスが低い」とされた一方、後者は「格の高い言語」とみなされていたなどの文脈の違いはありますが、言語の違いは分かりやすくサブステイト・ナショナリズムアイデンティティ形成に貢献しました。

 

これらはいずれも民主主義国家の中で発達しました。結果、サブステイト・ナショナリズム有権者からの支持を得る政党形成にこぎつけ、民主主義的ナショナリズムの達成を成功させます。Scottish National Partyにしろ、Parti Quebecoisにしろ、Partido Nacionalista Vascoにしろ、有権者の支持を獲得できるからこそ成立しえるというもの。

特にヨーロッパの事例では、EU発足でヨーロッパの統合が進む中、国家に変わる新しい組織としてマイノリティが期待し、サブステイト・ナショナリズムの勃興に繋がったとの説もあります。統合が分裂を生む・・・勿論、結果的に国家から独立までしているサブステイト・ネイションはまだありませんが、ヨーロッパ統合を主導した先駆者たちは、ナショナリズムの終焉を期待していたと想像できるだけに、すこし皮肉に感じてしまいます。

 

なお、サブステイト・ナショナリズムについては、Keating氏の文献を多く読みました。たとえばコチラ↓

Minority Nationalism and the Changing International Order

Minority Nationalism and the Changing International Order

 

 

倫理観をつくる要素(ジョナサン・ハイト Jonathan Hidt)

価値観の違い。あるいは、世界観・思想が違うと言ってしまえば、それ以上の理由は必要がないくらい、大きな違いになります。BREXITや大統領選で、欧米では価値観が二分されてきているという議論を最近よく聞きますが、この「価値観の違い」という捕らえ所のない命題をひも解く鍵になる意見を発しているのが、ジョナサン・ハイト氏です。

 

彼は、モラリティ(倫理観)の要素は主に5つあり、これらの優先度の違いが価値観の違いとして現れているという傾向を示しています。

 

www.ted.com

 

  1. Harm/Care 危害/親切
  2. Fairness/Reciprocity 公正さ/互恵関係
  3. Ingroup/Royalty グループ性/忠誠
  4. Authority/Respect 権威/尊敬
  5. Purity/Sanctity 純粋さ/高潔さ

これは2008年の動画ですこし古いので、そこから今までレビューを受けてこのフレームワークは進化しているようで、6つ目にliberty(vs oppression)が入るという説もあります。この5つの要素のうち、1、2に特に重きを置くのがリベラル、3、4、5に重きを置くのが保守、という調査結果が出ているとのこと。

 

「昨今、倫理観といえば1、2のことであるかのような論じ方がされているが、人間が有する倫理観の要素には3〜5もある」ことが、二分化された価値観を理解するうえで重要だということを言っています。

 

というのも、いわゆる有名大学の左傾化が進んでおり、キャンパスにおける倫理観の多様性がなくなっているのが問題だ、という危機感も持っているようです。人種や民族的な観点からの「多様性」は進んできたものの、「倫理観」という切り口でみると学生の多様性がなくなってきているというのです。

 

私は、なるほど多様性は重要だし、ハイト氏の言うように「Social Justice Worrior」な学生が意見の多数派を占める現状が、行き過ぎた「公平さ」侵害へのデモやパフォーマンスにつながっていることもあるかもしれないと思いましたが、彼が提案するように「倫理観の審査を入学審査に含める」ことには反対です。多様性の必要性を冠にした思想統制につながりかねないのでは?と思います。

 

というように、個人的に大げさな表現はあるような気はしたものの、興味深く聞けたPodcastはコチラ。

 

medium.com