映画: City of Ghost

良く拝見している方のブログで、「観た方が良い」と紹介されていたため、アマゾンUKのプライムで見ました。

 

映画の残虐なシーンがものすごく苦手な私ですが、恐ろしいISISの映像なども含まれるこのドキュメンタリーはフィクションではなく、リアル。しかも現在進行形の話であって、過去の歴史ではないところが恐ろしい。

 

でも、眼をつぶらずに拝見しました。命をかけて撮影した映像を国際社会に向けて発信している彼らの映像を、一般人の私が観ることもひとつの義務ではないかと思われました。

 


City of Ghosts - Official Trailer I HD I IFC Films & Amazon Studios

現代イギリスにおける「人身取引」とは

ヒューマントラフィッキング: 人身売買、人身取引のこと。

イギリスではModern-day Slaveryという言葉で語られる事も多いこの問題。英政府のレポートは、Modern slaveryについて下記のように説明している。

Modern slavery is an umbrella term that covers the offences of human trafficking and slavery, servitude and forced or compulsory labour. 

(筆者訳:Modern slaveryとは、人身取引、奴隷、隷属化、強制労働などの犯罪を包括的に意味する言葉)

もちろん現代では奴隷制度は国際法で禁じられているわけだが、経済的な理由から合法あるいは不法に入国した移民の多いこの国では、未だに移民らが奴隷のように扱われ人権を侵害されているケースが後を絶たない。

そのケースは、人身取引のオハコである売春目的に限らず、多岐にわたっている。例えば。

  • アフリカなどから、経済的な理由で親戚・友人を頼って入国。その親戚・友人からパスポートなどを取り上げられて家庭内奴隷のように扱われる。
  • 東欧などから、知り合いから良い仕事を紹介すると言われて、幼い子供たちをつれて入国。子ども手当を申請するように言われて申請するも、手当額は全て取り上げられ、強制的に売春させられる。
  • アイルランドから、トラフィッカーの手助けで船で密入国し、パスポートなどを取り上げられ、強制的に農業などの肉体労働をさせられる。*1

これらのケースが象徴するように、現代の人身取引においては、経済的な理由から多くの場合被害者は不法入国または滞在しているため、国内で不当に奴隷化されていても、周囲に助けを求めにくく、発見するのが難しい。

 

2013年時点でイギリス国内に10,000〜13,000人いると推測される潜在被害者。この問題に対し、イギリスでは、2015年にModern Slavery Actを立法化した。その取り締まりのために、2017年までに8.5百万ポンドの予算を警察に投じているとのこと。*2

実際、私がボランティアとして働いているNPOも、こういった取り組みの一端を担っている。問題の性格上、警察と緊密に連携をとって、被害者は警察から紹介されてくるパターンが多いのだ。

先週一緒にランチを食べていた、ヒューマントラフィッキング担当のヤスミンは、「私のポジションは、警察からfundされているんだよね」と言っていた。おそらく8.5百万ポンドのうちの幾ばくかが彼女の収入源になっているのだろう。

 

人身取引被害者は、多くの場合移民であるわけだが、中にはイギリス人もいるという。ヤスミンに聞いてみると、「こないだのケースでは、農場で働いていた人からの密告でイギリス人男性が強制労働されていたんだけど、その被害者はまた農場に戻ってしまったんだよね」という。

ほとんどの被害者は助けを求めている(と信じている)としても、中にはその閉鎖された環境に慣れてしまって顕在化しないケースもあるのだろう。このあたりは、愛する人が犯罪者となるドメスティックアビューズとも似て複雑な問題だ。。

 

イギリスNPOにてボランティアを始める

無事に修士を取って、日本人留学生は学歴をひっさげてまずは日本で就職、というのが王道なところだが、私は夫の仕事の都合でしばらく在英しなければならず、現段階まで職をみつけられていない。

 

外国人・関連経験なし・語学力不足・コネ不足、となればどんなにがんばって書いたアプリケーションも通るわけないんだな〜、と痛感し、まずはやってみようの精神でボランティア活動をはじめることに。

 

でも!このボランティアのポジションすら、見つけるの、苦労しました。

常にボランティアは募集してまーす、ってホームページに書いてあっても、実際はあまり仕事がなかったりする。運良く3つ目の団体で面接に呼ばれ、それをクリアして、ボランティアのプールリストに載る。さらに1ヶ月ほどしてから、リサーチの経験を買われて(?)バックオフィスに配属が決まった。

 

この組織は、政府の公認を受けながら事業を行っているきちんとした団体で、とくにマイノリティ女性にフォーカスしてあらゆる形のDV(家庭内暴力)やHuman Trafficking(人身売買、人身取引)被害者を支援するサービスを提供している。希望していた難民・移民支援のエリアで事業展開している団体だ。

 

今のところ数ヶ月経つが、最終的にはコンプラ部門のマネージャーのアシスタントと、パブリシティ・プロモーション担当者のアシスタントを兼務するというところで落ち着いた。ジョブ・ディスクリプションがあるわけではないので、ここまで手探り!

 

コンプラのボスはケニア出身、みんなからもめっちゃ頼りにされているヘリダ。とってもいい上司で、最初の配属としてはラッキー!と思う。

 

というわけで、これからはマジメな読書日記以外にリアルの日記もレポートしていきます。

日本の安全神話と、犯罪と差別と

最近、いよいよ英語を読むのに疲れてしまい、日本語の本を大量取り寄せしてウキウキ読書。そのうちの一冊ですが、個人的にとても面白かったものです。

 

安全神話崩壊のパラドックス―治安の法社会学

安全神話崩壊のパラドックス―治安の法社会学

 

 「安全神話」なんていうフワフワしたお題について、実証的に、はたまた理念的に、欧米との比較も交えながら、多角的に丁寧に説明していただき、厚みのある1冊ながら勢い1日で読了しました。こうしたフワフワしたテーマこそ、例えば、一方に統計や経済学、他方に歴史文化の地域研究などだけでは解決し難いテーマであり、社会学の職人芸なのではないかという気がします。

 

本書では、「日本は安全な国」であったのに最近そうではないとされがちである理由として、決して実際に犯罪数が増えているとか、凶悪化しているという話ではないといいます。そうではなく、伝統的日本社会では、大多数の一般人が暮らす「日常」と統制サイドと犯罪者たちが暮らす「非日常」の世界がほぼ切り離され共存してきたのだが、その境界が崩壊していることではないかと。さまざまな「境界」が崩れてきている例としては、例えば繁華街に多かった犯罪の住宅地への拡大、「夜半」に多かった犯罪が「日中」に頻出することなどがあります。そして統制サイド・犯罪者間のウエットな人間関係が防犯に果たしていた役割は大きかったが、近代化や「中途半端な」西洋個人主義の取り入れ、すなわち犯罪に対する態度として「馴れ合い」や「赦し」を重視する従来の傾向から、欧米的な「正当防衛」重視の文化へ移行する中で、それが崩れてきているとされています。

 

気になった点として、犯罪にはいわゆる人種差別がつきものであり、能力があるのに差別されたものが、自己実現する場としての犯罪組織というものがあるといいます。無論、差別された者があまねく犯罪に手を染めるなんてことはありませんが、差別と犯罪の関係は万国共通。そしてタブー視されがちである事も万国共通であると。そこで思い出したのは、FacebookのCEOザッカーバーグ氏も、読んで影響を受けた1冊と言っていたとかいなかったとかいうコチラの本。

 

The New Jim Crow: Mass Incarceration in the Age of Colorblindness

The New Jim Crow: Mass Incarceration in the Age of Colorblindness

 

著者も言及しておりましたが、アメリカでは犯罪といえば人種差別問題とニアリーイコール。この本では、いかに多くの黒人が刑務所に繋がれ、また犯罪者とされることで合法的に人権を剥奪されているかについて書かれています。合法的に人権を剥奪というのは、アメリカ憲法の修正13条において、すべての人間は平等である、ただし、犯罪者をのぞく、という但し書きがあり、これがまさに全てを正当化してしまっているということです。文章を読むのがおっくうな方は、同様の内容を映画で見ることもできます。

 

youtu.be

 

これを見ると、日本と米国では犯罪の統制システムに大きな差があると考えさせられます。アメリカの「平等社会」のためにというお題目を盾にした刑務所の裏の役割に対して、日本の、いわば「ヤクザが犯罪者予備軍の受け皿になる」システムが素晴らしいと言うつもりはありません。しかし、著者が言うように、「安全」確保のための共同体の大切さは認められるべきであるし、西洋型の人権擁護を神格化してしまうべきではないという議論になるほどと思わざるを得ませんでした。

 

 

ナショナリズムの理論とは

今日は久々に天気もよく、家の掃除、洗濯、庭の掃除に加え、ハンディマンに床を修繕してもらい、お家が綺麗になったのでいい気分です。

 

あいかわらず、ナショナリズム関連の書籍を読んでいます。ネイション・ナショナリズム研究はイギリスを中心としたヨーロッパがお膝元という事もあり、大学のライブラリーの書籍も充実しているように思います。ですが、研究者によって捉え方とアプローチが様々で、混乱していたのも事実でした。理論の整理にとても役立ったのがコチラの本。

Theories of Nationalism: A Critical Introduction

Theories of Nationalism: A Critical Introduction

 

 

教科書的な本は、最初の1冊としては面白みに欠けるけれども、何冊か読んで混乱した頭には大変ありがたいもの。ナショナリズムの潮流がよく理解できました。備忘録としてまとめておきます。

  1. ナショナリティとは、人間に「自然に」付随するものであり、不変的なものであるとするPrimordialism(原初主義)
    →Shils, Geertz
    ※バリエーションとしてナショナリティがある意味「自然」ではなく「作られた」ものである事は認めながらも、その起源が大変古い!とするPerrenialism(前近代主義)を区別する考え方もある。→Hastings
  2. 近代化の中で形作られた新しい概念であるとするModernism(近代主義
    ・経済的近代化 →Nairn, Hechterら
    ・政治的近代化 →Bruilly, Brass, Hobsbawm
    ・社会・文化的近代化 →Gellner, Anderson
  3. 近代主義に反対しネイションがもつ神話などの文化的シンボルは過去から常にあったものであるとするEthnosymbolism(エスノ・シンボリズム)
    →Smith, Hutchinson

いわずとしれた「想像の共同体」のアンダーソンなど、1980〜2000年頃までのナショナリズムの名著は上記の流れに整理されます。しかしながら、近代主義か反近代かという議論は賞味期限に近づいているという指摘がされているのも事実です。なぜなら、どちらが正しいかは「ネイション」をどう捉えるかというそもそもの前提によって変わってくるため、前提が違えば水かけ論に終始してしまう。

「ネイションは何か」「いつ始まったのか」という過去をさかのぼる議論はやめにして、今ある「ネイション・ナショナリズムがどのように世界に影響を与えているのか」の議論をしよう!という人たちが新しいアプローチを始めました。

  1. Banal Nationalism (凡庸なナショナリズム) →Billig
  2. フェミニスト・アプローチ
  3. ポストコロニアル・アプローチ
  4. 言説的な形としてのナショナリズム →Calhoun
  5. グルーピズムを排したエスニシティ →Brubaker
  6. (この本では区別されてはなかったものの)データ重視の経験主義的アプローチ

個人的には、凡庸なナショナリズムの存在は軽い衝撃でした。ナショナリズムには、hot(激しい)なものとbanal(凡庸な)ものがあり、民族紛争や極右勢力の勃興といった目立つ政治イベントだけがナショナリズムではなく、私たちの毎日の生活の中に根付いているものなのだとする議論。確かに、アメリカ人の日常生活におけるアメリカ国旗の頻出率は、留学していた時に外からの目線で見ると不思議に映ったものでしたが、毎日国歌斉唱しているアメリカ人自身は、自然にやっているので気づいていない。そこに存在するのが凡庸なナショナリズムです。

あとは、フェミニストポストコロニアルなど、メインストリーム(男性、西洋)に形作られた歴史の流れを違った角度で見直す分析はナショナリズムに限らず広く取られるアプローチです。

ただし、新しいアプローチはやはり「ナショナリズムがどう影響するのか」を見ようとするので、今に役立つ意味のある議論ではあれど、ミクロな視点に陥ってしまいがちではあります。

 

この本では面白い事も書いてありました。

Did nationalism have its own 'grand thinkers'?

いわゆる社会主義におけるマルクスウェーバー、民主主義におけるホッブズ・ルソー、功利主義におけるミル、といったその思想の「父」なる理論家はいるのか?という問いです。答えはNO。個人的にはゲルナー、アンダーソンがGrand Thinkersかな?と思ったのですが、彼ら自身が「ナショナリズムにGrand Thinkersはいない」と述べているらしく。マルクスだってミルだってルソーだってナショナリズムについて書いているし、いつだって彼らの業績のもとに現在のナショナリズムは語られている。とすれば、他の多くの「イズム」と異なり、ナショナリズムにおけるGrand Thinkersはいないということになります。

 

ちょっと途方に暮れつつも、そうしっかりと言い切ってもらえると少し安心してしまう自分がいます。本当に、ナショナリズム研究、奥が深いです。ある意味、概念的な部分ではもっとも答えのない領域なのかもしれません。(トホホ)。